登って潜って、月をみて。

生きていれば、こんな景色に出会うことができる。こんなに幸せな気持ちにさせてくれる。

北アルプス 内蔵助(くらのすけ)山荘

ここは…私がいちばん迷惑をかけてしまった山小屋です。

この親切がなければ(もう1泊すれば大丈夫でしたが、そうせずに無理に出発すれば)きっと遭難していたでしょう。

 

内蔵助山荘

雪の被害のために近年建て替えており、清潔で明るい館内に清潔な布団。

おいしいご飯。

優しいご夫婦。

おやつにも呼んでくださり、たくさんお話をさせてもらいました。

 

ある年の7月下旬、東京を出発前に天気予報をみると、2日とも雨と曇。

雨の山を歩くのも好きですし、岩は滑りやすいですが気をつけて歩けば問題ないと思いました。

せめて2日目は晴れたらいいな、なんて期待していました。


1日目、室堂(むろどう)から雄山(おやま)までの道は曇、強風。

寒い秋のアルプスでも、日の出を待つときにしか使わないような毛糸の帽子やネックウォーマーをしました。

そうしないと、耳がとれそうなくらい寒かったのです。

少しだけ「ヤバイのかな」と思ったものの、雄山までは行こうと歩いてしまいました。

だんだん周囲の景色も全く見えなくなっていったのに。

言い訳になりますが、同じ北アルプスでも上高地や白馬と違い、室堂は私にとってアクセスしにくい場所なのです。

「来たくてもあまり来られない場所、お金も日数(会社を早退しての前泊)もかかる」

楽観的な判断に傾いてしまった原因です。

そして雄山まで来たら、戻るより先に進んだ方が近いと思ってしまったのです。

「この風がやめば、剱岳がきれいに見えるかも~」

なんて。

不安があったのに進んでしまったことは、明らかに判断ミスでした。

私は予報が外れて晴れになることが多いのです。それだって、たまたまなのに。

楽観的過ぎる。いいふうに解釈するだけならいくらでもできる。

何も見えない中、辿り着いた内蔵助山荘付近はライチョウがいっぱいでした。「やっぱり明日は雨なのかぁ」

部屋でくつろいでいたら、昼過ぎには横なぐりの雨になっていました。

★雨風が強まった夕方近くに「これから行きます」と室堂から電話をしてきた登山客がいましたが、お断りされていました。

 

翌朝、まさかのホワイトアウト(視界が真っ白になるほどの吹雪)。

この視界では私は歩けません。もう1日休みをもらおう(短い行程だったため、予備日を設けていませんでした)と職場に連絡しようとしましたが、電話は不通。当たり前ですよね、この悪天候で。

「室堂(むろどう)まで行く用事があるから、この子たちをつけてあげる」とまさかの申し出。

お客は私だけだったのです。みなさん、キャンセルされたのでしょう。

 

山小屋で働いていたネパールの若い男性2人と室堂へ向かいました。

このお2人は、ネパールで日本人のトレッキングのガイドをしているそうで、日本語もペラペラでした。

オフシーズンに日本語と日本の料理を学ぶために、こちらで働いているとのこと。

途中で何度も振り返って声をかけてくれ、無事に室堂へ到着しました。

ここで用事を済ませてあの道をまた戻るんだ…と思うと 、無事に山小屋まで着いてくれるよう祈るしかありませんでした。

 

本当にありがとうございました。

 

どうしても行ってみたい場所、見てみたい景色があったとしても、私には起こるすべてに対応できる実力も知識もありません。

私にとっての山歩きは、命をかけてまで行かなくてはならないものではありません。

人間は悪い状況ほど小さく見積もり、楽観的に見てしまうことがあるそうです。

「雨だろう(=雨ですめばいいな)」ではなく、登山口に近いところでもっともっと確認して、そこで引き返さなければいけないこともあるということを覚えておかなければいけないと思いました。

私1人が命を落とすのは自分のせいですが、遭難を知って助けに向かう方々を危険にさらすことになるのは忘れてはいけません。

遭難したら、死んだらもちろんですが、生きて帰れたとしても山を歩き続けることをしなくなるでしょう。

f:id:yueguang:20190401222916j:plain

天気の勉強もしないといけませんね

実力もないくせに、自分の甘さ・バカさがよく分かりました。

 

「もう同じ失敗はしない」と強く思ったのにこの数年後、台風で岩につかまりながらでないと歩けないくらいに風が強まる中を、30分ほどの時間ですが稜線を歩くことになってしまい、自分のバカさにガッカリしました。