なんてついているんだろう、私。
22番 平等寺に着いてすぐにそう思いました。
ここ、大好きだ。
山門前に立っただけでこんなに強く思ったこと、あったっけ?
最後だから、静かにおまいりしたい。
ひとりになるのを待とう。
「結縁(けちえん)の綱」が山門からずっと本堂、ご本尊の御手までつながっています。
最後の鐘をつきました。
大切な人の数の1円玉をお賽銭にしようとしていたら、はかったようにぴったりありました。
なんてすてきなお寺なんだろう。
ここが最後で本当に良かった。
本堂の天井絵は美しいし、不動明王さまがいる護摩堂も、大師堂も結縁の綱でつながっている。
般若心経を唱えていたら、涙がとまらなくなってしまった。
最後だからかもしれない。
でもそれだけじゃない。
ここまで来られた。
まわりの人への感謝と、生きていることへの感謝で胸がいっぱいになってしまいました。
してもらえる、って当たり前じゃない。
この気持ち、忘れませんように。
終わってしまった…
仕事をやめたから来ることができた。
今、来なきゃいけない場所だったんだと思います。
この旅をするきっかけになった般若心経。
入社して10年目に辞めた会社で、毎月よんでいました。
このお経の意味ってなんだろう?
空海さんって?
そんな小さな問いから、興味をもちました。
のぼせたような気持ちで22番をあとにしました。
興奮しているわけじゃないけど、熱っぽい。
今日の宿は「えもとビジネス旅館」
清潔な寝具、きれいなお風呂、机と椅子(毎日、長い日記を書いていたので机と椅子だと腰にやさしい)があり、おいしいご飯。
小鉢、魚の照焼、牛の小鍋、カルパッチョ、おいしいお米(おわかりはお茶漬けにしてくれました)で、ひとりお祝いしました。
元気に終えることができたのも、毎日ちゃんと食べさせてもらえたから。
1ヶ月でたくさんのお寺をまわりました。
それでも、3年近くたった今でもはっきりと思い出せるお寺がいくつもあります。
別格を含めて100以上のお寺と出会いましたが、また全てをまわりたいかというと、そうではありません。
何も見せてもらえなかったお寺は、正直記憶にありません。
すぐに忘れてしまったのでしょう。
また行きたいお寺には、ちゃんと印がつけてあります。
いつかまた、四国一周をしてそれらのお寺を再訪するつもりです。
石鎚山と剣山にも登りたい。
そのとき、何を思うだろう。
人生80年だとしたら、半分。
今、この旅ができてよかった。
あとは元気に東京まで帰るだけ。