登って潜って、月をみて。

生きていれば、こんな景色に出会うことができる。こんなに幸せな気持ちにさせてくれる。

山の思い出と記録

先日、山道具が入っている引き出しや棚を整理しました。


シェラカップ、4つもあるんですよね。

自分で買ったのはくまモンだけで、あとはもらいもの。

減らそう。


前の職場の取引先のおじいちゃんがくれた本です。

若い頃、登山をやっていたそうで、紙袋2つ分に地図や書籍が入っていました。

保存状態が悪くとってあるのはこれだけ。

昭和23年に発行されたこの本は、おもしろいから、ずっと持ってるつもり!

言葉づかいがおもしろいんです。

芥川龍之介などを読んでるみたい。


ブログを始める前、メモをとるのが大好きな私は、歩行時間やら、その時の気持ちやら、山で食べたご飯のことやら、いーっぱいノートに残していました。

山に持っていったメモ帳を、帰ったあとに大学ノートへ書き写してたんですよ!

めんどくさっ。

メモ帳は、何十冊もありました。

この分厚い大学ノートだって、勉強しているときは最後のページまで書いたことなかったのに、これもたくさんありました。

最初の頃のノートには、山へ持っていったものが全て書いてありました。

これは使った、これはあれば快適だけどなくても困らない、次は持っていかない、いらない、など印がつけてありました。

これを何度も繰り返して、今のザックの中身があるんだなぁ。


8年くらい前でしょうか。

燕岳で出会った年配の女性に見せてもらったメモ帳には、靴下○g、歯ブラシ○g…と持ち物すべての重さが書かれていました。

「私は力がないから重いものは持てない。飲み物は1本だけしか持たないで、途中で買うの」

飲み物の量については、賛否両論あると思います。

何かあったときに、水が少ないと心細い。

でも、くるかわからない、その何かのときのために重い荷物にして、その結果歩けなくなるのでは本末転倒。

「水が足りなくなったら、と不安ではないですか?」

と聞くと

「だからね、高い山は年に一度、ここ(北アルプスの燕岳)しか登らないの」

途中、水分補給ができる合戦小屋までかかる時間、それまでに欲する水分量を知っているということ。

自分が安全に楽しく登れる山を選んでいるんだ。


私は、今はまだ、快適に登るための荷物を背にして山を歩くことができています。

年月がたち、体力や脚力がなくなれば、それらを少しずつ、家に置いていくことになるでしょう。

本当に必要なものだけを背負って登るようになる日は、いつくるのだろう。


10〜15年前は、山でくつろぐためのイスまで背負ってましたからねぇ。

途中で食べる食料やおやつもいっぱい。

体力あったもんだから、持っていきたいもの全部詰めてた感じ…

食べれば軽くなるけど。

10年後、20年後には、山頂までの水分も、途中で買うようになるのかな。

来週の山へ持っていくおやつは、これだけです。

カステラと、まんじゅう(これじゃなければ、あんパンでした)と、しょっぱい豆菓子。

昔はおやつだけで、この5倍くらい持ってました。

妹に「おやつは300円まで!」

私は小学校低学年か、っていうようなことを言われてました。

でもキミも食べてたよね…


ノートの話に戻ります。

3ページくらい、パラパラと見てみました。

うん、日記と同じだ。

もう、きっと読み返すことはないと思う。

「ありがとう」で処分することにしました。

はじめの頃の反省は、ちゃんと今にいかされてると思います。


それぞれのノートの最初に記した目次を眺めたら、ひとつひとつの山をけっこう覚えてる。

たぶん、大切なことはちゃんと残っているんですね。