私が誰かのことを嫌いだとして、その人は生きていけないわけじゃない。
それと同じで、たくさんの誰かに嫌われていたって私は生きていけるんだよなぁ。
職場だとしたら、うまく仕事が回らないとか、いろいろ不都合はあるかもしれないけれど生きていくには関係ないことだ。
ひとりで山を歩いていると、なんの脈絡もなくいろいろなことが頭に浮かびます。
「考える」でなく「浮かぶ」なんです。
冒頭に書いたことも、ふと浮かんできたこと。
人間関係に悩んでいるわけでもないのに、なんで?
むしろ、若い子に囲まれて幸せなんですけど。
以前の職場は、男性が多い課で楽チンでした。
支社全体では女性の方が多いけれど、私のいる課は男性が多かった。
男女の違いをことさら強調するわけではないけれど、男性が多い方が仕事をする上でとてもラクだと実感しています。
接客相手もほぼ男性だったので、セクハラまがいの言動もあるにはありましたが、イヤな奴に言われたらセクハラなんです。
キライじゃない人に言われたならば、ただの会話です。
だから気にしない。
全部とは言いませんが、男性は叱るにしてもわりとその場で終わることが多い。
女性は…ほとんど終わりません。
誰かに話さないと気がすまないんでしょうね。
当人がその場にいない悪口は盛り上がり、どんどん大きくなります。
めんどくさかったなぁ、そういうのを課を越えて聞かされるの。
そんな話は知らないにこしたことはないので、悪口だと察することができたときはその場を去ってました。
さりげなく話題を変える、なんて芸当ができればいいんですけど。
ふと頭にうかぶことって、意識していないようでも、頭の片隅で思っていることなのでしょうか。
「ただ、ひとりでいる時間」
って、とても大切なものなのかもしれません。
誰かといれば、どうしたって話をしたりするでしょう。
悪い意味ではなく、相手に気を取られます。
ずっとそうだと、気づけなくなることもあるんでしょうね。
自分はまだその場にとどまりたくても、相手はもういたくないかもしれない。
それに気づいてしまったら、心ゆくまでその場にいられないかもしれません。
逆もあるでしょう。
ひとりで山を歩いているだけで、誰かといるときには味わえない、外に向けて解放していく(毎日がつらい、とかではないのに)感覚になります。
心が勝手に深呼吸を始める、というか。
好きな場所に好きなだけいられるのが、「ひとりで歩くこと」のいちばんの醍醐味です。
ただ、ぼぅっと景色を眺めてるだけで数時間たっているのも珍しくないくらい。
ひとり静かに感動しています。
ほんとに贅沢な過ごし方だと思っています。
どれだけそこにいてもいい、異を唱える人はいない、ほんとに自由です。
これも山を歩いているときに、ふっと出てきたことなんですが、私は「時間を潰す」という表現が大嫌いです。
時間を潰す、を英語でいうと「kill time」なんですって。
わざわざ「○○して時間を潰す」って言わずに「○○しよう」でいいじゃん、って思います。
本当はしたくないのに、仕方なしにしてるみたい。
そして、山を歩いていていつも思うこと。
人間の想像力には限りがあるということ。
山の雑誌などで、いくらきれいな景色をみても、自分が実際に山まで行って目の前にある景色には、絶対かなわないんです。
写真のきれいな景色に感激し、その山に行ってみると写真を上回る景色が待ちうけています。
「ここまで歩いてこれた」という感謝の気持ちも含まれて、もっともっときれいに見えるのです。
行かなければ良かった、という山はひとつもありません。
これからもずっと
「楽しかった、登れて良かった」
と思えるよう、安全第一に元気に歩こうと思います。