登って潜って、月をみて。

生きていれば、こんな景色に出会うことができる。こんなに幸せな気持ちにさせてくれる。

山岳遭難の本を読んで

 

誰もが、山で美しい景色を見て、楽しい時間を過ごし、気持ちいい汗をかいて、

「今日も楽しかった〜」

と下山することを当たり前と思っているはずです。

私もそうです。

 

でもそれは当たり前ではなく、いろいろな判断の積み重ねの結果。

良い結果なら元気に下山できますが、ひとつでも間違えれば命にかかわることもある。

 

高尾山の先の景信山で昨年、道に迷った方を見かけました。

登山道からほんの数m外れてしまっただけで戻れなくなるのです。

「誰か助けてー」

声をあげ続けたことで、通りかかった人に気づいてもらえたようですが、例えば平日でほとんど歩く人のいないルートだったとしたら…

 

この本には、さまざまな遭難の記録と、遭難者を家族のもとへ返すまでが書かれています。

1話目の道迷いに端を発する遭難なんて、明日は我が身かもしれない。

 

そして、途中のコラムにもありましたが、山岳保険は必ず入ること。

私はmont-bellの野外活動保険に入っています。

1泊2日でも入れるものがあります。

モンベル | 保険

 

保険ではありませんが、自分の居場所を発信できるサービスもあります。

サービスについて | COCOHELI ココヘリ

 

私には子どもがいないので、死亡後のことはいい。

高額になるであろう捜索費用や、家族が現地へ向かう費用をカバーしてあればと思っています。

 

「遭難するような山じゃない」

と、保険に入らない方もいらっしゃるかもしれませんが、足を一歩踏み外して怪我をし、自力で歩けなくなったなら、それは遭難です。

こういう怪我は、山の難易度は関係なく、どこの山でも起こり得ること。

なんなら、普通の道を歩いてたって起こるかもしれないことです。

 

もう、救助は有料でいいのではないかと思うのです。

税金は、それを納めた地域の方々にいちばん使われるべきもの。

災害と違い、自発的にその山へ来て起こることは登山者自身が責任を負う、が当たり前なのでは?

 

以前、救助に携わる方から聞いた話です。

救助要請で現場に駆けつけた隊員の方々に対してお礼の言葉でもなく、まず「これは無料か?」と。

続けて「有料なら、自分で歩いて下山する」と言ったそうです。

その方は穏やかに話していましたが、聞いている私が怒りを覚えました。

悔しくなりました。

そんな人もいるのか、と。

有料と聞いたら歩けるくらいなら呼ぶな!

懸命に救助に来てくれた人たちをなんだと思ってる。

救助に向かう人たちだって、天候や場所によっては絶対安全ではない。

無事に戻れるかわからないのです。

そのことを忘れてはいけません。

 

山もだんだん暑くなってきました。

夏のアルプスに、薄手のダウンを持参して朝晩、外に出て星や朝陽を眺めるときに着ていたいた頃が懐かしい。

今は持っていっても着ないし、山によっては薄手の中綿だけ。

しかも、それさえも一度も着なかったり。

ひと昔前は夏の山でも低体温症が心配されていましたが、今は熱中症の方がずっとリスクだな、と感じます。

疲労で救助要請する方が、今までは報道されていなかっただけなのかもしれないけれど、今年は本当に多いです。

 

計画をたてた時点で遭難は始まっているのかもしれません。

標高が低いなら、歩き出しの時間を早くする。

いちばん暑くなる時間には、その日の目的地まで着いているようにする。

自分が歩き続けられるコースタイムや標高差を把握し、8割くらい(もっと行ける、の手前)にとどめておき決して無理をしない。

 

 

縁起でもない、と言わずに読んでみてください。

誰かの経験は、ほかの誰かの役に立つかもしれません。