みなさん、やはり同時に12番へ出発していきました。
私は14番 常楽寺へ向かいます。
住宅街、常に迷う。
詳細な地図(重い)があるにもかかわらず、迷う。
所要時間が3倍になっているけど。
コスモスがいっぱい。
秋だなぁ。
犬に吠えられて半べそでごめんなさいしていたら、その家のおじちゃんが出てきて道を教えてくれました。
14番へ行ってから、本日の宿「鱗楼」へザックを置かせてもらおうと思い立ちました。
そうすると…なぜか16番 観音寺に出ました…結果オーライ。
なにか騒がしい。
人がたくさんいます。
行事があったようで、ご本尊を開帳していました。
観音寺を出て歩いていると、向かい側からお遍路さんが歩いてきました。
私はお遍路の格好をしていないのに、ザックを背負って歩いているだけで分かるんですね。
地元の方は不思議なことに、宿にザックを置いて手ぶらで近くを歩いているときも挨拶をしてくれるんです。
山と同じように、誰にでも挨拶をしてくれる土地柄なのでしょうか。
常にお遍路さんという、他人を受け入れてきたからなのでしょうか。
自分を勝手だと思いました。
宿には快適さを求めるのに、歩くのは舗装路や住宅街はイヤだと思う。
歩く私が快適を求めるなら、提供する側だって快適じゃないと難しい。
快適な暮らしを維持するにはさまざまなものが必要で、それは車で(舗装路で)運ばれてくる。
山道がいいって思ったって、そこで宿泊施設を運営するならライフラインがもちろん必要。
標高3000メートルの山小屋での暮らしを考えてみれば分かるじゃない。
水を得るだけでも相当の苦労と費用がかかります。
15番 国分寺へ。
ここだけでなく、吉祥寺など東京の地名のようなお寺があります。
宿の地名も府中(こう、と読みます)ですし。
住職さんに見られていたので、なぜだろう…と思っていたら
「半袖なんてすごいねー(この日は7℃くらいでした)」
帰りも見送ってくれて「俺なんか上着きてんのになぁ」
14番の奥之院 慈眼寺へ。
ひっそりとある、小さなお寺です。
「生木地蔵尊」
誰が彫ったのかは不明。
1mちょっとの木の中に80cmくらいのお地蔵さま!
すごくないですか?
台風の被害で木が裂けたときも、お地蔵さまは無傷だったそうです。
14番 常楽寺へ。
本堂の前、見上げると木の股に小さなお地蔵さまが。
なんかいいなぁ、ここ。
岩盤がむき出しで力強い感じ。
椅子もたくさんあってゆっくりしたかったけれど、猫が多く怖くてやめました…
「人生即遍路」
そんな言葉がありました。
人生はお遍路のようなもの。
13番 大日寺へ。
1mの合掌した手の中に、美しい観音さまが。
内側もきれい…しあわせ観音。
お札を収める箱があるのですが、その中をあさる親子を発見。
何してるの? と思ったら、いいみたいなんです。
でも、なんかね…
金や錦の納め札を見つけたら、持ち帰って御守りにする人がいるそうです。
私は1回目のお遍路なので白いお札を収めていました。
お遍路の回数で色が決まっているんです。
納経所の方に親子のことを話したら「あら…」みたいな感じでした。
すぐにその親子が来まして「納め札を探してるんだけどない、ありませんか?」
何言ってるの?
そしたら納経所の人が出してきた!
誰のなの? あげるの?
もらった親子は帰っていきました。
納経所の方は、私にも錦の納め札をくれました。
308回もお遍路をしている85歳の男性のもの。
裏に住所も書いてありました。
この納め札は、個人で作るそうです。
回るたびに、配るための何枚かを置いていくそうです。
徳を配る感覚なのでしょうか。
不思議なシステム。
そのあと、他のお寺でもいただきました。
13番の向かいの「阿波國一宮神社」
馬の像がありました。
狛犬にも角がありますし、雄々しい感じ。
17番 井戸寺へ。
夕方のせいか、お遍路さんがいっぱいです。
7体の薬師如来像や大きなわらじがありました。
おもかげの井戸をのぞき、顔が見えれば3年間無病息災。
見えた。
やったー!
宿へ帰ります。
着かないよぅ、なんでよぅ。
住宅街をとぼとぼ。
痛くはないけれど、足の小指とかかとに小さなマメができていました。
今日も30000歩以上。
鱗楼のご飯、おいしかった~。
なんにでも、すだちが付いています。
何品も載ったお膳の上に、いくつものすだち。
焼き魚は分かるけれど、ちくわにもすだち。
味噌汁にも輪切りで入っている。
爽やかでおいしい。
気に入ったのですだち果汁の瓶を買って、しばらく味噌汁に入れていました。
すだちは徳島県で9割以上が生産されているそうです。
すだち → ゴルフボール大
かぼす → テニスボール大、大分県産