小学4年生の姪っ子がいます。
この前の春休みに、1時間くらい2人で散歩する機会がありました。
そのとき、
「私、名前を毎日バカにされてるのね」って話し始めました。
なんなの、そいつ。
「ひとりじゃなくて、ふたりなの」
男の子と女の子、ひとりずつ。
女の子は、つい最近まで仲良かった子だそう。
姪っ子の名前は、読めない漢字でもなく、女優さんにも同じ読みの方もいます。
「やめてって言っても毎日言ってくるの」
「でもね、名前って、親がこんな子に育ってほしいってつけた大切なものなんだよね。だから私は、その子たちの名前のことは絶対言わない」
私、なんだか、じーんとしてしまい、視界がぼやけてきました。
もうすぐクラス替えだね。
離れられたらいいね、そのふたりと。
「ううん、(クラス替えで離れても離れなくても)どっちでもいい。最近はもう、やめて、って言ってないんだー。言えないんじゃなくて、言わないの。どうでもいいなぁって。何回イヤだって言ってもやめてくれないこの人たちには、もう、分かってもらわなくていいって思ったから」
驚いた。
なんて強い。
私もそう思うよ。
どうでもいい人はどうでもいい。
その人をどうでもよくなった経緯が、必ずあるはずなのです。
私が心底こう思えるようになったのは30代でした。
それまでは、自分が悪いんじゃないか、とか、相手は本当は心の中ではこう思ってるんじゃないか、とか答えの出ないことを考えては消耗していました。
でも、どうでもいいや、と思えるようになったら、とてもラクになったのです。
どうでもいい人にどう思われようと、どうでもいいのです。
心を尽くしても、嫌われるときは嫌われる。
誰にでも言いがかりをつけてくる人もいる。
気をつかっても、気をつかわなくても、結末は同じことが多い。
だったら、気をつかうのバカみたいじゃん。
開き直れました。
そしたら、言いたいことも言えるようになり、言わないことでうまれる誤解もなくなったのです。
小学4年生の姪っ子から、そのコトバを聞くなんて思ってもいませんでした。
職場も学校も同じでしょう。
大変な仕事、難しい勉強、いろいろあるけれど、それらは自身で乗り越えなくてはならないもの。
でも、自分だけの力ではどうにもならないのが人間関係。
仕事が大変より、いい人間関係を作っていくほうが大変と思います。
どうしてもだめなとき
「これってもしかして、どうでもいいんじゃないか?」
と思えたら、相手との距離感も変わって少しラクになれることもありそうです。
5月は、心が疲れる人が多くなる季節でもあります。
山、いいですよ。
歩いているうちに、意味わかんないことばかり言う(昔の職場の)上司のこともどうでもよくなってましたもん。