誰かと行く山
独りで行く山
どちらも楽しい。
独りで登ったあとに誰かと登ると「こうやって楽しい時間を笑顔で分かち合えるっていいなぁ」と思います。
誰かと登るとき、一緒に歩く時間を大切な思い出にするためにも責任を押し付けあうことがあってはいけません。
「楽しさを2倍に、つらさを半分に」とよく言われますが、「責任を相手に」を付け足すことのないようにしたいものです。
私は職場の人に「連れて行って」と言われて山歩きをしたことが何十回とあります。
必ず伝えるのが、私は初心者向きのコースを道案内するためだけにいるということです。
初心者の不安の多くは「道に迷わないか」だと思います。
初心者の頃に何度も歩いてきた山に案内するのですから(もちろん地図は持ち、分岐では必ず確認をします)、その不安はクリアできるわけです。
「山歩きに適した歩き方」など、自分が今までの経験から身に着けてきたことで、参考にしてほしいことは伝えます。
しかし、私は彼女らの一挙手一投足に目を配り、その山歩きを最後まで安全に終わらせる義務は負いません。
「もし怪我をしても自己責任だよ」と伝えています。
谷側へ向けて斜めに道がついていて、道幅が30センチくらいのところを「慎重に通過しよう」と声をかけても、歌を歌いながら枝を振り回していたり(気分が良かったのでしょうね~)する同僚もいました。
もし彼女が転んで怪我をしても、私は全く責任を感じません。
注意を促しても、それを聞き入れなかった結果として負った怪我に関しては彼女の責任です。
技術がなければ通過できないような箇所がある山を選んだわけではなく、少しの慎重さがあれば楽しく歩ける山を選んでいるのです。
だから山は楽しいのではないですか?
自然の中にあり、道幅が広く安全な道を歩きたければ、大きな公園の散歩コースを歩けばいいのです。
そんな公園はたくさんあるのですから。
山の中では、ずっと安全な道が続いていることはないでしょう。
木の根っこがあったり、きつい傾斜で脚を高く上げなければいけなかったり、狭かったり…
それは、日常で歩いている道にはないことが多いですよね。
ずっと「連れて行ってもらう」意識だと、何か起きたときに自分ではない誰かのせいにしてしまいがちです。
何が何でも、独りで歩くのがいいですよと言っているわけではありません。
私は独りで歩くことが大好きですが、そんな人ばかりではないでしょう。
独りで歩くということは、全部を自分で決めるということです。
自由と責任。
道に迷えば、分岐で地図を見ることを億劫がった自分のせい。
この道でいいのかな、と不安に感じつつ進んでしまった自分のせい。
ペースを上げすぎてバテてしまった…
適度に休憩や水分補給をしなかった自分のせい。
思っていた時間に下山できず、最終のバスに間に合わなかった…
自分の歩くペースを把握せずに無理な計画をたててしまった自分のせい。
途中で遅いことに気づいていたのに山頂へ着くことにこだわって引き返さなかった自分のせい。
このいろんな「自分のせい」をキチンとしていくことで、安全な山歩きにつながっていくのです。
誰かと山へ行くときでも、「自分が快適に歩けるために必要なこと」に意識を配れるようになっているはずです。
同じ山を季節を変えて歩いてみたり、以前誰かと歩いたことのある山に独りで行ってみるくらいでいいのです。
全部を自分で決める山歩きをしてみると、山を楽しめる時間が増えますよ。