11番 藤井寺。
本堂前の石柱に「同行二人(どうぎょうににん)」と彫ってありました。
同行二人。
お遍路で一人で歩いていても常に空海さんと一緒ですよ、という意味です。
屋根がすごい。
白龍弁財天も美しかった。
12番へ向かう山道の下見をしておこうと向かった先にあったのは、八十八ヶ所めぐり。
小さな祠のなかに、八十八の寺のご本尊さまと空海さんがまつられていました。
全部で手をあわせていたら1時間半たっていました。
ひんやりした空気。
滝の音。
でも静か。
違う世界にいるようでした。
無心で歩いていました。
頭がのぼせたようになったまま、宿に戻ります。
山々のシルエットが夕陽に染まっていました。
今日も45000歩。
がんばりましたー。
元気に歩けた。
8時間ほどの歩行、ベンチでおにぎりを食べた15分だけしか座ってない!
平坦な道だと、10kg以上あるのにザックの重さは感じないもんだなぁ。
こうやって歩き慣れるんでしょうね。
ただ、シャンプーが半分に減っていた…ジップロックに念のため入れていたから良かったけれど、ザックの中にこぼれていたら大惨事でした。
汁ものには気をつけましょう。
へんろ道の標識もかわいいけれど、石に彫ってあるものが好きです。
見つけると嬉しくなってしまいます。
宿での夕食のときのこと。
食事の時に限らず、宿の中ではいろいろな話が聞こえてきます。
聞いていて楽しい話もありますが、たいていはそうではありません。
「吉野」のご飯はとてもおいしかった。
おいしいトンカツと白飯をもりもり食べていたとき。
隣のテーブルから
「俺の荷物は3kgだよ」
と聞こえてきました。
四人掛けですが、グループではなく他人同士。
何回目かのお遍路だというその男性に、他の人が質問しています。
「雨のときはカッパですか? それとも傘?」
「そんなの持ったら重いし、邪魔だろ。お遍路の格好して濡れて歩いていれば、傘なんてすぐに誰かがくれる。車で送ろうか、って言われることもある」
「…そうなんですか」
「雨が止んだら捨てる。雨が降ればまたもらえるからいいんだ」
そうかもしれません。
まだ歩き始めたばかりですが、声をかけていただくこともありますし、飴をもらったりもします。
善意をあてにする、ともちょっと違う。
善意をもらって当たり前と思い、使い捨てにする。
荷物は軽いほど、確かに歩くのは楽になる。
速くもなる。
けれど、「雨が降ってきましたよ、お遍路をしている私が濡れていますよ、誰か傘をくれませんかね?」という気持ちで歩いているの?
傘をくれるのはそっちの勝手だから、その傘をどうしたっていいよね、ってこと?
声も大きくて、どんどんイヤな気持ちでいっぱい。
ご飯をガーっとかっこんで部屋に戻りました。
明日、一緒に歩くのイヤだな(朝ご飯食べて出かけたら同時の可能性ありますよね)。
うんちくたれられたらキレそう。
道で会いたくない。
2日目ですでに順番通りに歩いていないので、もう気になりません。
地図を見て、12番ではなく、違うお寺からまわることにしました。
今日、藤井寺の八十八ヶ所を歩いていて、ふと思いました。
なくしたもの、手に入らないもの、手に入らなかったものを思うのではなく、今ある幸せや縁に思いを寄せよう、と。
つまんないこと、思ってもどうしようもないこと(自分にはどうしたって変えられないこと)に気持ちがとらわれてしまったら、四国を歩いたことを思い出そう。
お寺にいると、とても気持ちが穏やかになりました。
そのことを一生懸命思い出すことにします。
今あるもの、縁への感謝を忘れない人生を送れますように。